MASANORI MATSUDA

INFO WORKS
Levinas ‒ a Lithuanian Jewish philosopher - lost his family in the Holocaust. My late mother, whose house was completely destroyed in the Great Hanshin Earthquake in 1995 - was buried under debris, she got rescued after seven hour and survived. Levinas and my mother have completely unrelated lives and backgrounds; one was agonized by a man-made disaster while the other suffered from a natural disaster.
Here in the reception room at the Kyoto Art Center, while mesmerizing Levinas's concept of ‘beyond existence’ that refer- ring to the“others”as strangers coming from completely different background, , I juxtapose unrelated characters in response. Where would the sentiments attached to the flowers that dedicated to the deceased end on? Where would my feelings for the deceased go when I become the deceased? Such ambigous feelings may be lost; yet such feelings could as well transform into the belongings of the survivors - the "other", and that Levinas coin the term "Illya" beyond feelings towards the others. Levinas says that the connection to the "other" begins with facial cognition. The fact that I got hold of an old Polish Jewish passport, seeing the face of the passport holder, offers me the potential to create a relationship with this unknown character. Levinas also says that the responsibility left for a survivor to the deceased is to pray, not for recalling the deceased identities or their stories, but a remorse from the prayer.
The arm in the photo reaching out from the reception room’s curtain belongs to my lover. Hypothetically and symbolically speaking, if my lover died, I could, have a number engraved on her arm as a resemblance of our shared memories. Per say, the engraving would only be sensible to me, not to her.
And I used powdered gold to Expression the process by which the ever-changing concept of the other turns into Ilya, and tried to delve into the relationship between identity, the existence of the deceased, and freedom of the soul.
 アイデンティティー と亡くなった人の存在 、そして魂の自由は可能なのだろうか? レヴィナスはホロコーストによって家族や友人を失った、私は阪神大震災によって家が全壊し、がれきの下に埋まる母親を感じていた。災害でなくなった人と自分が生き残った違いはなんだったのだろうか。レヴィナスと私の生き残る背景は人 災と自然災害である時点で全く違う背景と言える。しかし今回私はここ応接室でレヴィナスと対話をしながらその全く違う背景さえも超えて行くレヴィナスの概念「存在の彼方へ」に登場する「他者」を待ちたいと思う。彼の他者の概念は少しづつ変わっていき大きい幅があるがそこへの想像力から対話をしていく。 ある人が亡くなった後、人はその亡くなった人にしゃべりかけているような気持ちの時がある、そこには亡くなった人の アイデンティティを感じているのかもしれない、しかしそれはまだ生きている私がいるからで、もし私がなくなってしまったらその亡くなった人への気持ちはどこへ行くのだろうか。その気持ちは迷子のようになり 1 つの他者になっていくのかも しれない。その他者のざわめきをレヴィナスはイリヤと呼んでいる。昔地震への怒りを鯰に集約させ要石で封じ込めた想像力や、古代から亡くなった人に捧げてきたいくつもの消えて行った花にこめた気持ちはそこにあるのだろうか。 今私が対話しているレヴィナスは私が考えるレヴィナスでしかない。 他者に対する繋がりは顔に応答する事で始まる。顔の呼びかけにより、私がこのパスポート(※1)を手に入れた時点でこの人に対する責任が発生していく、そして次の名前や顔を取り戻せなかったホロコーストで番号(※2) (アイデンティティの一部 ) を刻まれ亡くなってしまったこの顔の見えない人はどこに行ってしまったのだろうか。その人達に応答していく責任とはかれらに応答する事や祈る事であって、けっして彼らのためにアイデンティティや物語を取り戻す事ではないと言う ( それは自分の ためであるから )。それはもはやアイデンティティはなくなり、ユダヤの人がホロコーストで亡くなっていくという象徴的文脈に還元されていくことになる、しかしそれはナチスのような全体性があり個々がみな同じにみなされていくような意味ではなかった。 この象徴的文脈に還元されるという事はこのカーテンから手を伸ばしているのが例え私のパートナーであっても象徴的文脈に吸収されて行く、もし私のパートナーが亡くなっていたら、この最も近くにいる大事な存在がなくなった後その腕に刻まれた番号を愛おしく思ってしまうかもしれない。しかしそれは私のために思う事であって彼女のためではないかもしれない。 左腕に刻まれた番号 ( アイデンティティの一部 ) はそれを愛おしい番号だと思っていても他者によって消されて行く、金色に包まれたアイデンティティを食べる事ができたのは他者のみだった。他者も元は顔があり、本人の印や名前を持っていた、私達はそれをふだん写真や記録、過ぎ去る生活の中で無限に通り過ぎている、そしてある瞬間その他者に応答する瞬間が訪れる。 3つの同じカーテン、その向こうの私達が住む世界から亡くなった人が訪れ、彼らはオリジナルのカーテンを閉めていく。この場で私の想像力で招いたレヴィナスとの対話は終わり、いつしかこの話も私も消えて行くだろう。 他者はいつも想像力を超えた場所にいる。
目の前にイリヤが発生する。存在の彼方でのざわめきがはじまる。あるいは存在の彼方などあるはずがない。 レヴィナス リトアニア出身のユダヤ人哲学者 (フランス) ※1 ebay で売買されたポーランド系ユダヤ人のパスポート ※2 この番号は、ポーランドの Książenice の近くで建てられた 45 人のための数字の墓 (the number tomb) から、後に 45 人の中の大部分の人の名前が分かり横に名前が入った墓がさらに横に建てられたが、そこにはまだ番号しか書かれていないポーランド系ユダヤ人の存在があった。 そしてその中に唯一新しい墓に番号を一文字間違って書き写されたものがあり、それを扱った。 ※3 ホロコーストによって刻まれた番号は、ほとんどの人が左腕に刻まれている。
© 2023 MASANORI MATSUDA